夢とヴィジョン

kotobuki20042006-06-27

 夢やなりたかったものについて、以前に考えることがあったのだが。

 ワタシはやはり歌を歌う人になりたかった。もちろん、バリバリのクラッシクである。現在は幸せなことに作る側の立場となっている。世界を魅りおす人から自己満足や趣味や数年に1回のイベント歌手まで。ありとあらゆる歌い手さんの中で動いている。
 そこで思ったのだが。
 学歴や出身校は関係ないというが、それはやはり違いますね。
 ネームバリュー、そして難関と言われている学校に進んでいる人達というのはそれだけの努力・・・つーとちょっと違うのだが、強い志を持って進んでいったのだと思う。
「一流のアマチュアは三流のプロには勝てない」
という言葉があるが。
 
「学校なんて関係ないわ」というかもしれない。だが。難関校には幸運なチャンスが多い。「学ぶ」ということにおいても同様だ。100回の下手クソなレッスンよりも一流演奏家の1回の演奏を生で感じるいことの方が、よっぽどわかる。

 学歴コンプレックスがあるかって?
 ワタシ自身にはない。だって日本で一番いい学校に行った!と思っているもーん。
でも、歌を歌う人としては弱かった。「必ずなる!歌を歌う人になる!」というベクトルが弱かった。責任転嫁ではなく、プロになっていく人達はいつもいつもギリギリの選択を迫られて、自分で決断をしていく。でも、そこには「一流になるということはこういうことだよ」という物凄く明確なビジョンを提示されることが必要不可欠だ。それは進路というなまっちろいモノではない。生活や生きる姿勢や判断力に至までの、提示する側にも責任と実力が要求されるであろうことだ。
 と、思う。
 それは親かもしれないし、先生かもしれないし、はたまたその人の才能の輝きをキャッチした「誰か」かもしれないのだが。
 それは人生のレールをひかれるということではない。そんな自分勝手なことではないのだ。
 
 現在、自分自身で歌を歌うことを選んでこなかったことには、明るく後悔中だ。
 だってさ!
 やっぱり歌が好きなのだもの!オペラが大好きなんだもの!言葉としても理由もあるのだろけど、そんな言い訳がましいことなど超越するくらいにだ!

 さて。
 この明るい後悔は今後の人生選択に大きなターニングポイントと・・・
 なるのかねー。

 ひとまず、今夜はこれからブラジル戦!今回はブラジルかスペインが優勝じゃないかしらん?でも、ベッカムが負けるところは・・・見たくない、というほどファンではないけどね。ニワカサッカーファンですわ。

  おほほほほ。